秋葉原市民公開講座

加我先生のお話

みなさんこんにちは。私の今日のテーマは幼児から90歳代までとしてありますが、今日ご参加されているみなさんの年齢を考えますと成人を中心にお話します。それでも最近子供には何が起きているのかちょっと知っていただきたいと思います。歴史的には、生まれつき聞こえの悪いお子さんの教育というのはまず江戸時代、ド・レペというフランスの牧師で医者の方が難聴児の教育を始めた歴史的な人です。彼は手話を考えました。それまでは自然発生的に指文字というものがあり、指でアルファベットを表すというものがあった。難聴児の子供というのは今も昔も1000人に1人産まれます。それは人類の運命ですね。ですから、社会で助けなきゃいけないと思っています。それで、レペ先生は当時教会におかれていたりしてほったらかしにされていた難聴児に言葉を身に付けさせる、難聴児を教育して人と人が話せるようにしたい、という思いで手話を考えました。日本でも明治になるまでは難聴児を教育するという発想がなかったのです。しかし、最初にできた聾学校は250年前にウィーンでできたものなのですが、ウィーンは非常に熱心で、王様がレペ先生の授業を見にきたくらいでした。パリにあったその聾学校でレペ先生は活躍しました。
レペ先生が亡くなってからは、手話ではなく聞いて話す、あるいは口を見て話す教育がなされるべきだという話し合いがミラノ会議で行われた。日本では明治になってからです。わが国もいろいろなことがありまして、まずヨーロッパのミラノ会議の影響を受けて、聾学校ができました。聞いて話す教育がしたかったのですが最初はそうはいかず、手話で教育していました。それが大正時代になりまして、グラハム・ベル、電話を発明したベルが日本に来て、アメリカは口を見て話す教育をしているという話をし、日本はその方向に流れます。昭和になって、戦後、真空管やトランジスタが作られ、補聴器が作られ、初めて聞いて話すという聴覚口話法というものが始まりました。ずっとこれで日本の難聴児の教育が行われてきたのですが、ここ十数年前から、手話を併用するという考えの人たちが増えました。補聴器の次に人工内耳が登場したわけですが聴覚か、手話か、という二つの大きい流れがあります。ですから、生まつき聞こえが悪く産まれたお子さんはどちらの教育を受けるかで人生はまるっきり違うことになります。さて、昔からギリシャのころから、聞こえないと話せないのか、という大きな問いがあった。それで、アフローディニアスという人が先天性のろう者は言葉を聞くことができず、正しい発声を学習できないので亜者となるという風に2500年前に言いました。
さて、ヘレンケラーについて話したいと思います。ヘレンケラーは生まれたときから聞こえない人ではなかったんですね。1歳のときに髄膜炎になって目も、聞こえも悪くなりました。それで、サリバン先生という先生の教育を受けて文字を獲得した。ヘレンケラーのすごいところは7歳のときから教育を受けたのにもかかわらず、19歳にしてハーバード大学の女子学部に入学した。一般の入試を突破して。日本への貢献は、戦後、今日来ている人も持っているかもしれませんが、身障手帳、これはヘレンケラーのお陰なのです。戦後特に日本の視覚障害の福祉に取り組んでいる人たちが、身体障害者福祉法というものを作りたいと思っていたのですが、当時日本は米軍に占領されていまして、それは、兵隊で怪我をした人たちのための法律になると言われていて、はじめは反対したんです。それで、日本の団体がヘレンケラーに、日本に来て占領軍を説得してくれないかということで、説得されて今に至る。ですから日本の障害者福祉法はヘレンケラーが大きな貢献をしたのです。
サリバン先生も目が悪いんです。グラハム・ベルは奥さんが聞こえない人。家庭教師で教えていた人が聞こえない人だった。その問題に関心を持つと同時に結婚することになった。それでグラハム・ベルは生涯音について感心があったのです。ハーバードの女子校、私も見に行きました。(ヘレンケラーは)日本には2回来ています。1948年、広島と長崎にも行ったそうですが、このときに障害者福祉法に貢献することになります。ヘレンケラーの有名な言葉に、「もし私が目と耳のどちらを先に治して使えるようになりたいかたずねられたら、それは耳です」と答えているんですね。聴覚は、言語を習得し深く考える人間にする。社会では人と人とのコミュニケーションを可能にし、活動の範囲を世界に広めることができる感覚なんですね。
人工内耳がどこから始まったかというと、ボルト、イタリヤのボルタ先生からとられました。オームだとかアンペアは頭文字からきている。ボルタは、亜鉛と食塩水を浸した布をサンドイッチ上に積み重ねると電流が流れることを発見した。みなさんは補聴器で空気電池をつかっているかもしれません。これはまさにこれと似ています。空気電池の場合は亜鉛と食塩水の代わりに酸素が反応して電流を作っています。ボルタはですね、このころ彼一人が開発したのではなく、たくさんの人が発明を目指していたが、その中でボルタが勝ったんですね。ボルタは、聞こえない人に電流を流すと聞こえるようになるのではないかと思ったのです。
今から200年以上前の話ですけど。ここから人工内耳ができるまで人類は150年近くかかっています。今も例えば私の耳に電極を入れて電流を流すとブーという音が聞こえます。しかしそれは、鼓膜や耳小骨は振動していないのです。では聞こえない人に電気を流すと、どうなるかということですが、それはここが蝸牛という、音を聞く細胞があるところなのですが、ここを電気で刺激すると音として聞こえます。その原理はわかっていたのです。これを今の人工内耳にするには、世界の聴覚および工学の人たちが開発競争をしたんですね。
実は一番最初に人工内耳をやったのはフランスなんです。1950年代、1例の患者さんでした。次はシングルチャンネル、アメリカが開発しましたが、シングルチャンネルがうまくいかないということで新しい開発競争がされて、この欠点を研究者が良く見ていてですね。今の人工内耳はオーストリア、オーストラリア、アメリカで開発されました。日本も当時、東大と北大が参加しましたがうまく開発できませんでした。開発していた先生を私はよく知っていますが、残念ながら、日本では開発できませんでした。
人工内耳は補聴器とぜんぜん違う。補聴器は音を大きくして鼓膜を振動させて聞かせるものです。人工内耳は鼓膜も耳小骨も使いません。蝸牛のなかの細胞を使います。いきなり音を聞く神経を刺激するんですね。蝸牛の中に電極入れますと、この神経の最初の部分が蝸牛の中にあるんですよ。そこを刺激するものです。ですから日本では人工内耳の訳は最初は人工内耳ではなかったのです。人工蝸牛と呼ばれていました。私はこちらのほうが正しいと思います。というのはですね、今度はめまい関係の人工前庭器というのが登場してきましたので、人工蝸牛のほうがよかったのではないかと思います。電極を入れるのは蝸牛なんでね、人工の蝸牛を作っているというイメージで、蝸牛をバサッと切ると、音を聞く細胞が本来あるんですけれども、これがなくて、そこからこの神経が始まってこの神経を刺激するというようになってます。ほとんど同じ年メルボルン大学とウィーン大学でマルチチャンネルの人工内耳の手術が成功します。オーストラリアとオーストリアとほとんど同時に開発されて発展していくんですね。メドエルジャパンはオーストリアのほうです。
今の日本のように保険で適用されるまでには大変苦闘しまして、約12年かかっています。亡くなった東京医大の船坂先生、私も船坂先生に教わっていた時期もありまして、もしお元気であれば日本でまた船坂先生を会長にして世界人工内耳学会をやりたかったんです。わが国で発展するようになったのは1994年保険適用が認められてからです。
日本は1歳から上は年齢制限なく手術できるようになっています。これは日本特有でありまして、例えば医療が進んでいるイギリスは、高齢者の人工内耳は認めません。人生が短いので医療経済学的に効率が悪いという発想です。それが日本はものすごく良い国なんです。障害の子供がいるでしょう、気管切開の子供たちはずいぶんいるんです。アメリカでは治療しないので早く亡くなるのですね。日本ではお子さんでも手厚い援助をするのでずいぶん長い人生があります。幼時の人工内耳ではですね1例だけビデオを見てもらうのが一番わかりやすいと思います。
-ビデオ-
20年前、東大病院で手術した症例です。 
人工内耳は、多くの先天性の難聴者ははっきりした発音になります。これは補聴器と比べて画期的なんですね。
人工内耳の子供たちは、最近の我々の研究では聞くほうは同じ年齢の子供と変わりません。メロディとかリズムとか音程とかは変わりません。それぐらいよく聞き取れます。ただですね、歌うほうに関してはまだハンデがありまして教育が必要です。
今では小さいころから人工内耳を使っていて、大学にいっているという人が、私が担当した人でも何人もいます。
 
去年の2月にウィーン国際障害者ピアノフェスティバル受賞者記念コンサートというのがメドエルの主催で東京であったんですね。そのときに肢体不自由、発達障害などさまざまな障害の人がいましたけども、人工内耳を装用したルーマニアの小学生の女の子が演奏したのが上手で、コンペティションにも出場していい評価を受ける人まで現れるようになってます。
 
それでは今日の参加者を考慮しまして、成人と高齢者の人工内耳についてお話をしたいとおもいます。昔で言うレコード屋さんをやっていた方は聴力が悪化しまして、人工内耳の手術を受けて、再び音楽も聴きたいといっていました。私の質問をよく理解しまして、わたしが音楽について質問すると、音楽を楽しみにしてたんですけども昔のようには聞こえないといいます。こういう人はいっぱいいるんですよ。これは、子供さんは発達期の脳と完成した脳との違いと思われます。希望がないのかというと、人工内耳のソフトウェアの音の処理方法がもっと向上すれば、みなさんの年齢でも音楽がわかるようになるんじゃないかと思います。それを可能にするよう人工内耳を作っている会社が競争しています。
それでですね、脳の症候のことですが、これはポジトロンというのですが、脳の断層撮影の結果では、人工内耳を使うと、音を聞く中枢のある脳の左右の側頭葉の血流が非常に亢進して、グルコース代謝という脳の活動が活発になります。人工内耳が使われていないとこうなりません。
患者様には刺激が来ないので脳の聴覚のところは眠っていて、人工内耳で音が入ってくると目を覚まして活動するようになりますというふうにお話しています。
私が東大病院で人工内耳医療に携わるようになったとき、60歳過ぎたら人工内耳は効果がないんじゃないかといわれていましたが、頼まれて、70歳の方2人に手術をしたら一人はものすごいよく聞き取りまして、もう一人は十分聞き取れてないんですね。だからどっちが本当なのかよくわからなかったんです。つい2、3年前までは各国の高齢者の人工内耳についての論文は若いときより効果が不十分だというものがいっぱいあった。2013年にアメリカの雑誌にオクトジェナリアン(80代)の人工内耳の成果、聴覚と生活の改善についての論文が発表されました。これを見ますと80代から90代の人でも、聞き取りが可能になって生活はずいぶん向上したという報告なんです。その頃は私も高齢者の人工内耳の手術をどんどんやっていたときですが、私もまったく同じように思っています。
 
症例1
私のとこにこられたのが80歳の方で、この人は東北大学の工学部出身の方で、ずっと15年くらい聞こえないと、それで学生のときは合唱団に入っていてチェロを弾いていて、もう一度聞こえるようになりたいと、工学部出身だったので技術の進歩に関してはためらいがなかったんですね。ただ私は東大のころのちょっとした70代の人も様々だなぁと思ってましたから、どうかなぁと思ったのですね。しかし結果はびっくりしました。文書の検査で術後83%聞き取れていたんですね。単語も84%、とにかくテストをやったら85%くらい良いんですね。この方はですね、音楽を非常によく聴きたいということでいろいろな努力をしてまして、人工内耳にはTというテレコイルがあるんですね。これを、人工内耳の会社の人がSTの人にあんまり説明してないみたいでしてね、テレコイルをうまく使って聞かせたいということで、最近デンマーク製のテレコイル用の電磁誘導のヘッドホンを手に入れまして、この方サンサーンスの白鳥をもう一度聞きたいと盛んに言われていたので、聞いてもらえるようにしようと努力しているところです。テレコイルはですね補聴器を使っている人も人工内耳を使っている人もあんまり会社のほうで説明していないために、使ってない人がものすごく多いんですね。そういうことも知ることになりました。
 
症例2
それでは実際の人たちをもう一人、この人は84歳左耳が人工内耳、進行性難聴、右耳が突発難聴の方です。この方は私が移動するたびにその病院に来てくれてですね、彼女は盛んに補聴器ではどうしてもよく聞こえないということだったので人工内耳にしますかといったら今はこんなに聞き取れるようになってます。聞き取りがよくなりますと私との会話がより自由になりますので、この人が私に最も思い出深いはなしをしてもらいましたら、戦争の話でした。栃木県大田原というとこに住んでいたんだそうです。そこには飛行場がありまして、米軍に狙われてなんども爆撃にあってるんですね。それで大変苦労させられたという話なんですね。聞きやすいということをおっしゃる方が非常に多いですね。理論的には人工内耳と補聴器では脳に情報が伝達するのが1/1000秒ほど違うんですけどね、脳のほうではそれを無視して統合しているということを患者を通して知りました。
 
症例3
さて次の方も三田病院の手術の方で、かつてわたしが帝京大学で一緒に仕事をしていた先生で開業している先生が紹介してくださった方でですね。この方はですね、いつか医学が進歩して聞こえるようにしてくれるんじゃないかということで先生のところに通っていたそうですね。この方は82歳、ここにあるのはこの方の作品ですね。20歳から82歳まで前衛芸術をやっているんですよ。個展を見に行ったら不思議なおうちなんです。私は前衛は20歳から30歳の人がやるものだと思っていたんですがね、そうでないんですね。前衛っていう領域に入った人はいつまでも前衛だということがこの方を通してわかりました。手術後8%聞き取れるようになったということですね。この人は芸術で生きてきたわけではなくてですね、会社員をやりながら草月流をやってきたんですね。前衛的な作品を作っていることにびっくりしました。手術後は非常に親しくなることが多いんです。私もですね患者さんからそれぞれの人の人生の体験を聞くのが大きな喜びです。草月流全体の展覧会が日本橋の高島屋でありまして、いってみてもうびっくり。何百と作品があってこの人のものもありました。学生のときに草月流の草月会館というのが青山にあるんですよ。患者さんそれぞれ大きな歴史を皆さん持ってまして、その歴史を人工内耳の手術後よくうかがうことがでてきて私は楽しいです。
 
症例4
それでは次はですね、国内でもっとも最高年齢の人工内耳の手術は富山医科学科大学の92歳の方なんですね。人工内耳を勉強してやっと手術を受けたいと来ましたら、向こうの耳鼻科の先生も え 92歳!? ちょっと年齢が上すぎるからと断ったんです。そしたらすぐに院長室にいってわたしは手術をやりたいんだといって、院長がやれっていったんです。その結果非常に良く聞こえるようになったんです。実は、私が担当したこの方もそうなんです。この方はですね私の外来ではこう言われました。娘夫婦よりも歩くのが早くて活発な方なんですね。よくお話もしますが。私のところにも90歳の方が来まして、さすがにわたしもちょっと不安にはなったんですけど、私は90歳だがあと10年は活躍したい、今聞こえが悪いので周りに迷惑をかけている、良くしたいと言われるんですよ。私は感激しました。それでは手術前の検査でなにもなければ、問題なければと。この方はとんかつ屋さんをやっていたんですね。手術後の私との会話ですが、こういう質問をしました。戦争のころは20歳でしたか、内地へいきましたか?内地で暗号解読をやっていました。暗号で届く内容と新聞の報道は違いましたとおっしゃるんです。
われわれの聴覚の老化を考えますと、人工内耳で刺激する蝸牛神経が大幅に減るといわれているんですが私はそれは間違っているんじゃないかと思います。術後2ヶ月です。暗号で届く内容は日本あちこちで陸軍、海軍であちこちで敗北敗北というのですが新聞を開くと勝った勝ったといっています。その違いに自分は非常に戸惑ったといっています。こんなに私との会話ができました。それでわたしは、この方の経験を通してまた先ほどのアメリカの報告を見まして、エイジレスの時代を迎えたと思います。下は1歳から上は90歳まで可能であると。それでですね、私の好きな演劇の演出家に蜷川幸雄という人がいるんですがね、今は80近いということですが、70歳のとき埼玉県にオートシアターというものを作ったんですね。それは素人の高齢者を集めて劇団を作ったんですよ。この人は非常に口の悪い人でね、高齢者を怒鳴りつけながら、高齢者のほうは今覚えたセリフまた忘れたなんて言いながら、なんですが、なんとパリ公演するようになった。それは今日のサンケイ新聞さんがとりあげてくれた。平均年齢74歳パリで公演、というサンケイ新聞さんの美の扉シリーズに出てまして、これはどういうシーンかというと、これは裁判官なんですよ。孫が過激派で裁判にかけられたのですが、裁判の最中にズカズカと入っていって孫を解放せよと、そういうような内容なんですね。埼玉のゴールドシアターのチケットを買おうと思ってもすぐ売り切れで、まだ私も実際には見たことはありません。彼はこういう風に言っていた。“老化現象と戦え”と、それを私は“聴覚の老化現象と戦え!”という風に置き換えたいと思います。えー 今日の参加者の方を見ますと、日本はあまりにも年齢がどんどん増えていくとさみしい説明ばっかりしやすいと思います。私の外来でもですね、患者さんがどこに行っても老化です老化ですといわれてるんですね。そんなに簡単に言うなというとこですね。
 
症例5
あとですね、我々のとこでは眼と耳の二重障害をお持ちのかたも手術やってまして、本来それは国立のリハビリテーションセンター病院でやるべきなのにそこが全然やらないことがわかりまして、患者さんが私のところへついてこられまして、この方は生まれつき目が見えないんですよ、それでこれが手術前、これが点字の通訳さんです。わたしが話すと通訳の方がここに点字を打つんです。それを患者さんが判読して私の質問に答えると、それが今、人工内耳によってわたしと会話ができる。その会話の内容はですね、こんな感じです。この方は面白い方で、「先生、安倍総理の声をはじめて聞きましたよ。」と言うんですね。それからですね、ラジオを楽しむようになりました。耳が悪くなってからマッサージ師をしてたのですが、目も耳も悪くなってから自分の周りから友達は消え、家族までもが消えました。人工内耳とともにそれが舞い戻ってきましたと言っています。次にもう一人、盲ろうのピアニストの方もおられて、盲学校の時代はですね、全国の盲学校ピアノコンクール第一位の方です。この方も50を過ぎてから難聴が進行しまして、聞き取りにくくなったということでお父さんにつれられてやってきました。お父さんはですね80を過ぎた方なんですね。お父さんが私に言うには自分はそんなに長く生きられないだろう。しかし目だけでなく耳まで聞こえなくなってしまったらこの子供は生きていけるか心配だと。ぜひ人工内耳で聞こえるようにしてくれないかと言うんです。それで人工内耳の手術をしました。去年の3月ですが、わたしは毎年市民公開講座をやっているのですが、記念に演奏していただきまして、大変上手な方でして、先ほどのウィーンのピアノのコンクールに是非出したかったのですが、私がついていくからといったのですがお父さんが、無理だと、連れて行くのも大変なんだというので残念ながら参加されませんでした。ヘレンケラーの言葉ですが、「もし私が目か耳かどちらかを治せるならどちらを治すかと聞かれたら耳です」と。
つい先日ですが三田病院で、三田病院では大人の人工内耳に取り組んでいます。そこで手術を受けた方々が、患者さん同士が会ったことがないので交流の会をやってもらいたいということで交流の会をやりました。人工内耳の会社協賛ではありません。私どもで行ったということです。率直にいろいろ言ってもらいまして、ずいぶん患者さんの体験から参考になる意見をいっていただきました。
 
Q&A
Q、内耳はどれくらい知られているのか。耳鼻科で診察をしてもらいながら聞いたんですけど、手術で聞こえるようにできないかと聞いたのですけど、高齢にともなって耳が聞こえなくなっているのでこれは手術ができないと言われたのですが、耳鼻科の先生の中でもどれほど浸透しているのか。
 
A、人工内耳については、耳鼻科以外の先生では先生たちは90%以上知らないと思います。今活躍されている先生たちのほとんどは、学生時代にはこのような話を聞いたこともないということが一つ、またそういう患者さんに出会ったこともないのでその効果もわからないと。この前三田病院の神経内科の先生方に講演したんです。初めて人工内耳をお見せして、みなさん初めて見たという反応でした。子供についても、東大病院にいたときも小児科の先生はまったく知らなくて講演会をしたくらいです。耳鼻科の先生ですが、これはですね耳鼻科学会全体で考えなきゃいけない問題ですね。というのは、眼科に入った先生はですね、みんな目の先生になるんですが耳鼻科は違うんですね。たとえば私は耳のほうを専門にしてますが、耳の専門の先生は割合少ないです。そうするとそこの教室は人工内耳について取り組んでないことが多いんですね。せっかく勉強するために入った先生方は学会で聞くくらいで実際は見たことがない。教授がアレルギーだったり声の専門の方だとそこの教室出身の先生はあまりよく知りません。そのために耳鼻科の先生になった後でもわからないことが多いのです。私もこれに15年前くらいには気づいてまして、医師国家試験の委員になったとき人工内耳についての試験問題を作ったんですね。なんとか採用されればみなさんそれを勉強しますから。そして採用はされたのですが、それでも押しやられるのが現状なんですね。すいません。これは耳鼻科学会に問題がありますね。こんなに進歩しているのが世界の標準なんです。
 
Q.もう一つ、補聴器を付けますと雑音が入って声が割れてしまうのですが、人工内耳の場合はそういうものはないのでしょうか
A.片耳の場合はそういうことはないです。補聴器は鼓膜を通して音を伝えるためで、人工内耳は直接蝸牛を刺激するからです。ちょっとうるさい環境では聞きにくくなるのは一緒です。両耳にするとより聞きやすくなるという時代です。補聴器と人工内耳の聞こえは全然違います。費用のほうが気になるかもしれませんが、身障手帳を持っている方については手術をするのに厚生医療という申請の書類があるんです。私もしょっちゅう書いてまして、それで市町村に申請するんですね。それで断られたことはありませんので、だいたい実際の費用というのは400万ちかくかかるのですが、申請が通るとほとんど払わなくていいです。
 
Q.身体障害者のみでしょうか。高齢で耳が聞こえない場合ではその保険はつかえるのか
A.保険ではなく厚生医療というのですが、耳の聞こえの悪い人はおそらく身体障害者の対象になっているんですね。それが診断をする必要がありまして、手帳がないとカバーはされないと思います。まず身障手帳が必要なのか、診断をもらって、身障手帳をもらってください。

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